H16年度 第3回企業訪問


菊間町 菊銀製瓦  安永 教一さん

2005年3月10日(木)14:00〜

訪問参加者:

佐伯・井手・平林・佐々木高雅・佐々木哲広・上松・小澤・小田・菊地・上田・横山・池内・薬師神・安永・日野    (計15人)


● 菊間瓦の工場にて説明を専務さんに受けました。

事業紹介
(菊銀専務さん)

 以前は270度だったが最近1040度で調整するようになりました。
水分の関係で割れる事が理由です。瓦は焼いて乾くと約1割程小さくなります。釜の中は1200度になる為に一回の作業でブタンガスをボンベ12本も使います。又、約20時間かけて釜で焼きます。
 その為、菊間瓦は赤い瓦にならず「いぶし瓦」独特の黒い瓦になるんです。
  焼き終わった瓦は次に20時間かけて冷却されます。合間の8時間は入替の時間なので、丸2日間でようやく最高級の菊間瓦が完成するのです。
 瓦の原価で大きいのは材料費はネンド代とガス代です。
 ちなみに日本の最高級瓦は「日本瓦」と「いぶし瓦」といわれています。


工場見学

● 家紋を作る作業場で社長が紹介して下さいました。

鬼瓦工場について

 私は17歳の頃から50年間家紋の作成等をしています。この高い技術を持った職人は現在、菊間で10名居ます。しかし一番若くても60歳以上なのです。ここ菊銀では社長と専務しか鬼瓦に携わっていません。他に技術の有る人が居ませんので近頃、後継者問題に頭を悩ませているんです。
 特に難しい点は7%の瓦の縮みが出来る為、一つ一つが手作業でなければならないのに加え、ハイレベル技術と精神力が必要になります。
 瓦については本間・京間の様な規格があり、どうしても受注生産品が多くなってしまいます。

「菊銀」社長に質問中!!
(株)菊銀さんの工場

● 次に「菊間町総合体育館」の見学に行きました。

菊間町総合体育館
の見学

 屋根坪3000坪に敷き詰めた和製いぶし瓦は10万枚を使用し、その規模は日本一。それまでは奈良の大仏殿が日本一だったそうです。又、入口には、大きな鬼面瓦がありました。瓦葺を32万枚使用したその鬼面瓦は愛媛県武道館内の鬼面瓦と親子鬼として再現されており、武道館の物よりも20cm大きく、これも日本一だそうです。平成16年11月完成の新しい建物でした。

● 最後に「かわら館」を見学しました。

かわら館の見学

 瓦の歴史は1278年から1287年頃にさかのぼります。
 日本の瓦は西暦588年、朝鮮より瓦博士が日本を訪れて奈良の飛鳥寺を造ったのが始まりと言われています。
 その700年後の鎌倉時代になって「温暖な気候」「豊富な材料」「海上運輸」 この3つの好条件で菊間瓦が発展しました。
 専務さんの話によると、菊間瓦はそもそも京都・奈良よりその技術が伝えられ、菊間という地域が雨の少ない温暖で自然乾燥に適した環境であったのと、運輸面では船が香川から材料を直で積み下ろし、瓦を積んでは関西へ届けるといった合理的な点も昔は特長だったと話してくれました。
 その後、明治14年には皇居に御用瓦を収めた事で当時43軒だった業者は翌年68軒にまで増えました。ちなみに最高で75軒にまで増えたのですが現在は34軒にまで減ったそうです。
 菊間瓦のポイントは、淡路の「いぶし瓦」が白っぽいサエ(表面の輝き)なのに対して菊間のサエは黒っぽい。又、役物瓦(飾りつけ)の種類の多さに見られる通り細工物が特徴だそうです。サイズにも特徴があり菊間瓦は1坪当り72枚に対して、その他の瓦は53枚と、小さいのが特徴です。重なりが深く風に強く飛び難く、何と言っても小さい瓦ほど木目細かで美しいと話していました。菊間瓦の歴史の全てを知る事の出来る博物館でした。

鬼面瓦前で記念写真
菊間町総合体育館
(大屋根に10万枚のいぶし瓦)

まとめ
(菊銀専務さん)

 「いぶし瓦」は高級な瓦とされております。日本で有名な瓦といえば、昨年大洲城の復刻にも使われた岐阜の「岐阜瓦」や京都の「京瓦」など、私共の「菊間瓦」も高級瓦として紹介されています。愛媛県武道館の瓦は全て菊間瓦です。
  しかし最近は愛知の三州瓦という平板瓦が、施工費・瓦、共に安いため市場の約50%を占めるんです。しかしながら耐久性に問題が有るなど多くを指摘されています。
  やはり良い瓦は100年位は十分もちますので、良い瓦をお勧めします。皆さんも瓦をお探しの際は、宜しくお願いします。


(文/ 横山 伸也)


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