1.スノーボードと私

 私がスノーボードを始めたのは、53歳の1993年12月10日ですから、今年で11年目になります。当時はまだスノーボードをする人は少なく、スキー場によってはスノーボード滑走を禁止していました。
 早くからスノーボードを始めたからということで、(財)全日本スキー連盟公認スノーボード指導員と世界スキー連盟公認スノーボードハーフパイプ・ジャッジの資格を持つに至っています。
 スノーボードの歴史は浅く、滑走技術は未だ発展途上にあり、滑走技術は毎年進化しています。従って、指導員は最新の滑走技術を体得する必要があるとともに、更なる技術の研鑽が必要です。
 愛媛県スキー連盟の副会長でスノーボード技術委員長そしてスノーボード指導員である私はスノーボードのハイシーズンである1月から3月までは、スノーボード教室での指導や検定業務、冬季国体随行や大会への監督など盛り沢山の行事に追われ、自らをトレーニングする機会が全くありません。
 そこで、日本では夏の8月に、地球の裏側で冬真っ盛りのニュージーランドや北半球で秋にオープンしているスイスに行ってトレーニングを行うこととしています。

 今回は、スノーボードレッスンで我が国で最も厳しいと言われる「佐々木塾ニュージーランドキャンプ」に入門し、ワールドカップに出る若き選手等(キャンプに参加する人をキャンパーといいます)と一緒にトレーニングに参加するために、7月31日から8月23日迄ニュージーランドのマウントハットスキー場へ出かけました。


2.ニュージーランドへ出発は台風のお出迎え

 スノーボードを持って外国へ行くときは何時も一人旅で、ホテルやシャトルバスの予約などは電子メールで行います。今回の予約で、一番心配なのは、クライストチャーチ空港を降りて、1日に1便しかないシャトルバスに上手く乗りつなげられるかでした。
 出発の7月31日(土) 松山空港から関西空港へは昼の便で伊丹空港経由で行くことにしていましたが、台風10号が接近するので、朝一のANA関空直行便に変更していてよかったと思います。関空に到着してからの情報では二便以降は欠航とのことでした。後日の話では関空までタクシーで行った人もあるとのことで、私もタクシーで行く羽目になったと思うと、よくぞ前便に変更していたと思いました。
 関空直行便は定刻より少し遅れて、8:05分松山空港を台風に向かって出発、雲の中を飛行するがあまり揺れはしませんでした。関空には9時に到着。関空で出発までの9時間は長く、時間をもてあそばないように関空の隅から隅まで訪ね歩きました。
 台風は何処に行ったのでしょう。関空は風もおさまった様で、夕方6時15分に定刻通りニュージーランド航空便はクライストチャーチ空港に向かって離陸しました。

 8月1日(日)午前8時10分、クライストチャーチ空港に着陸、手荷物検査の食物は厳しかったですが、問題なく通過出来たものの、着陸から到着ロビーに出るまで約2時間かかりました。到着ゲート前の案内所に訪ねてゆくと丁度僕を館内放送で呼び出しているところで、ドライバーが迎えにきていました。
 10時25分発バスに乗って、クライストチャーチを後にしました。クライストチャーチ市の人口は松山市とほぼ同じ程度でニュージーランド第二の都市です。市街地を出ると目的地のメスベン村までの120kmの間信号機は全くありません。
 片側一車線のアスファルトの高速道路を日本から輸入した中古のバス(日本語の車内案内がそのまま残っている)で時速100kmで走ります。車窓は昔は羊の牧草地帯だったが、今はニュージーランド松林が多く見られました。
 予定の11時50分、メスベン村のチャンセラーリゾートホテル着。チェックインカウンターでなじみの顔の受付の子がにこにこ顔で出迎えてくれました。


3.マウントハットスキー場

 マウントハットスキー場はニュージーランド南の島の最大の都市、クライストチャーチから約150キロメートルの距離にある標高2075メートルのスキー場で、最長滑走距離1500メートル、標高差672メートルのニュージーランドの大規模で有名なスキー場です。
 スキー場は森林限界の上にあり頂上部分は氷河です。氷河にはゴンドラやリフト等の構築物を作れないので、氷河に数メーター間隔のU字型のポールを建て、T字型の横木(Tバー)をワイヤーからロープで繋げ、動力によりワイヤーを下と上との間を回転させ、人はTバーを腰に当てて滑走しながら引き上げられる方法でゲレンデに上がって行きます。
 北半球にはユーラシヤ大陸や北米大陸そして日本に多くのスキー場がありますが、南半球の大陸の寒冷地でスキー場があるのはオーストラリアの南部、南米のチリそしてニュージーランドです。従って、北半球が夏の季節には北半球からニュージーランドのスキー場へ集中的に、スキーやスノーボードのトップライダーが来ますので、練習には最適な環境です。
 日本からも大勢のスキーやスノーボードをする人が来ています。今年感じたのは、韓国のスノーボーダーが非常に多く来ていたのが印象的でした。韓国は景気がよいのでしょう。
 ホテルがあるメスベンは人口は約400人で、村の端から端まで徒歩で15分程度の小さな村ですが、マウントハットスキー場への宿泊基地なのでスキーシーズンの人口は10倍になるとのことです。
  私も、チャンセラーリゾートホテルから毎日スキーバスに乗って非常にエキサイティングな道を1時間半かけてスキー場へ通います。エキサイティングな道というのは、ガードレールがない非舗装の雪道で、毎年何台かの車が道路から滑り落ちて数百メートル墜落してしまうからです。今年も、日本人の車が落ちたとのことで幸い死亡はしてないようですが、死亡するのが通例と言われています。昨年、東京から来たスキーヤーは、エキサイティングすぎるのでスキー場に行くのを止めて、旅行目的を観光に変えた人がいました。

4.ニュージーランドキャンプ

 今回のスノーボード旅行は21日までの3週間の日程です。21日は長いと思われますが、スキー場は吹雪や大風でクローズされることがあり、今回も6日間クローズです。中でも10、11、12日は連続3日間クローズしています。
 一昨年スイスのサースフェーに10日間行ったときは、殆ど毎日吹雪の連続で、滑れるときで1日に二時間ずつ、3日間で合計6時間しか滑れなかった泣きたい旅行も経験していますので、ある一定の期間がないと外国まで来た意味がありません。

 キャンプの最初は基礎トレーニングから始まり徐々に高度な技術トレーニングとなります。東温町に日本で最大を誇る屋内スキー場のアクロス重信があり、年中スノーボード滑走が出来るので、体作りは結構出来ているのですが、矢張り急斜面での滑走には体を慣らさなければなりません。 即ち、いきなりキャンプにはいるのは体がついて行かず、他のキャンパーに迷惑を掛けますので、8月2日から3日までの最初の2日間はフリーライディングで体を慣らしました。
  3日目からキャンプに入る予定でしたが吹雪のためにスキー場はクローズでしたので、4日から基礎トレーニングキャンプに参加しました。
  そして、14日にいよいよ急斜面でのトレーニングです。

 兎に角、朝一でいきなり、35度程度の荒れた急斜面の滑走から始まり、30度程度の圧雪バーンに連れて行かれ、「フラットに見えるでしょう。」「ではバー(ゴルフのシャフトを保護するためにプラスチックのメッシュの筒)を持ち、両手を固定して滑走しましょう。」
  これは難しい。もし滑り出しで転倒したら、300メートル程滑り落ちてしまいます。ヘルメットはしていますが、両手を固定して滑降するのは大変難く危険です。しかし、キャンパーの皆と一緒に滑りました。

 20歳代のキャンパーと一緒にニュージーランドのトレーニングを無事に怪我無く終了して、22日の朝4時半にメスベンのチャンセラーリゾートホテルをタクシーで出発し、クライストチャーチ空港発ニュージーランド航空で日本に向けて飛び立ち帰路に就きました。


5.ニュージーランド共和国について

 ニュージーランド共和国は北島と南島にGtバリアー島とスチュワート島からなり、面積は日本とほぼ同じ所に、人口は昨年やっと400万人を超えました。その人口の四分の三が北島に住み、首都のオークランドを始め都市部に84%が住んでいます。1976年以来人口の増加率は少なくなり、1981年の年間増加率は0.3%以下です。出生率が低下しているので、子供の人口は低下しています。

 ニュージーランドと言えば羊が有名でしたが、合成繊維に押されて近年毛皮の需要が減っているため、羊牧場は牛や鹿の牧場に代わり、更にニュージーランド松の植林事業に移行しているそうです。ニュージーランド松は元々北米産のラジエーター松をベースにして品種改良し、ニュージーランド松と名付けられました。

 この国もかつてはユーカリなどの原生林がありましたが、牧場への転換で伐採する一方、林業も伐採型によって資源は減少しましたが、ラジエータ松の植林により資源の再生に成功。今では代表的な樹種に成長し、事業化された人工林が緑豊かに国土を守り、環境の維持に大きく貢献しています。
 ニュージーランド松は30年で47センチの優良樹となり伐採され、日本、韓国、中国に輸出し、国際競争力のある優良材として脚光を浴び、外貨を稼いでいます。本来、林業国であった日本が外材輸入に頼り、我が国の林業が成り立たないのはなぜなのか、素朴な疑問です。

ニュージーランドの国家元首はエリザベス女王です。ニュージーランドのコイン(通貨)にはエリザベス女王の肖像画が描かれています。
興味あるのは、古いコインは女王の若々しい女王、新しいコインには貫禄のある女王が描かれていることです。


6.メスベンライオンズクラブ


マウントハットスキー場のチケット売り場の横に額が掲げてあり、それには次のように記述されています。



この額は、スキーリゾートの設立に関して、メスベンライオンズクラブが行った先見性を証するものです。
このスキー場の開発に関する査定は1969年9月10日に着手し、徹底的な調査を行いました。そして、査定開始から2年後の1971年8月4日にメスベンライオンズクラブはMount Hutt開発会社の発起人となりました。
(MOUNT HUTT SKI & ALPEN TOURIST CO. LTD. 作成)


7.車と高速道路

 
 ニュージーランドは日本とほぼ同じ面積の国土に400万人の負担で無料の高速道路を張り巡らしています。
 その高速道路の郊外は片側1車線のアスファルトで牧場や森林との境界が何となくぼやけているレベルですが、時速は100km制限です。
 スイスやカナダそしてアメリカでも郊外の高速道路は片側1車線で制限時速は100kmから120kmですが、その高速道路は日本の一般国道程度と思えます、恐らく日本だったら制限時速は50乃至60kmでしょう。

 ニュージーランドの車の95%以上は日本車で占められているようで、日本から輸入した中古車が多く目立ち、日本語の看板を付けて走っています。そして、日本では見られない懐かしい往年の名車を見ることが出来ます。交通方法も日本と同じ、車は左車線走行ですので、右側ハンドルの日本の中古車が上手くとけ込んでいる理由の一つかもしれません。


道路交通法規の違いにびっくりしました。我々の車が交差点で左折れをしようとして曲がらない。
ドライバーに何故だと聞くと対向車が右折れをしようとしているので、その進路を妨げ無いように待っているとのこと。理由は道路を横切るのは危険だから右折れ優先だとのことです。対向に右折れ車がいるのに左折れしたら交通違反で検挙されるとのことでした・・・・伊予の早曲がりは違反ではなかった。


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